環境整備:誤った解釈の恐ろしさ
最近、大手中古車販売会社の件が社会的問題になっています。
この中で、悪い概念として「環境整備」という言葉がクローズアップされて、非常に残念であり、怒りを覚えます。
この会社は「環境整備」ということを全く理解してなく、管理の一環として便宜的に使っているとしか思えません。
私の経営コンサルタントの業務(勉強)の中で、大きく影響を受けているのは、「社長の教祖」「日本のドラッカー」と呼ばれた、伝説のコンサルタントである『一倉定(いちくら さだむ)先生』です。
5年程前に、ある方のセミナーでお名前をお聞きして、興味を持ち、その著書を買って読ませて頂き、一部の考え・手法は、中小企業のコンサルに活用しています。
一巻「13,000円(税別)」の「一倉定の社長学シリーズ(新装版)」を全10巻購入し、悩んだ際は引っ張り出して参考にしています。
環境整備の意味
「環境整備」は、一倉先生の信念です。以下に一倉先生の言葉を示します。
環境整備こそ、すべての人々の活動の原点である。
むろん企業にとってもそうであることはいうまでもない。環境整備のないところ、会社の発展はない。環境整備のないところ、社会秩序も住みよい世の中も、いや、国家の繁栄さえ絶対にあり得ない、というのが私の信念ともいうべきものである。
上記のシリーズ第9巻「新・社長の姿勢」の中に「環境整備の意味」が記されていますので紹介します。
環境整備というのは、規律・清潔・整頓・安全・衛生の五つである、というのが私の見解である。
このうち、安全と衛生は、規律・清潔・整頓を行えば自然に実現するし、その意味は誰でも分かっているので、この二つは省略することとする。
規律の意味
五つの中で今回の中古車販売会社に関係するのは、「規律」なので、この部分だけを紹介します。
規律とは、
(1)決められたことは必ず守る
(2)命令や指図は必ず行われる
というのが正しい解釈であろう。
憲法・法律・条例などは、国や自治体で決めることである、ゲームにはルールがある。会社には、社規・社則というものがある。物をつくる時は、設計や仕様を守らなければならない。
人間の生活や活動、会社の仕事、ゲームに至るまで、必ず「きめごと」がある。これを守らなければ、社会生活も会社の活動も、うまくいかない。競技やゲームはルールがなければ実施できないのだ。守らなければ混乱が起こったり、事故が発生する危険がある。
だから、「きめごと」を守らなければならない、という何とも単純なことなのである。
「きめごと」がある以上、それが不都合だろうと、違背してはいけない。あくまでも、その通りやらなければならない。しかし、「きめごと」が不都合となってくれば、いつまでもそのままでは困るから「変更」をしなければならない。そうしたら、今度は変更されたことを守らなければならないのだ。
だから「きめごと」には良識が必要なのである。良識のない「きめごと」は社会的罪悪である。
命令や指図も同様、これが必ず行われなかったなら、これまた社会生活も、会社の経営もあったものではない。
「必ず行われること」については、命令や指図を受けた側に一方的な責任があるのではない。命令した側には、行わせる、行えるように指導する、正しく行われたかどうかをチェックする責任があるのだ。
とかく、「命令の出しっぱなし」ということがある。もしも行われないのに出しっぱなしでチェックも行わないというのでは、結果においては「命令しなかった」と同じことになってしまう。だからこそ、命令した側には、「行わせる」、「チェックする」という責任があることを忘れてはならないのである。
よく、「いくら言ってもやらない」とぼやく上司がいるが、これは行わない方が悪いだけでなく、行わせない方に、より多くの非がある、と考えるのが上司としての正しい態度である。
社長の考え方で変わる
今回の問題は社長の考え・行動によって、企業全体が影響を受けるということを考えさせられます。
上記の一倉定先生の記述を読んで、環境整備は、経営向上に有効な考え・手法であると感じる方がほとんどだと思います。影響が強い手法であるがゆえに間違った使い方を行った場合、大変なことになります。
一倉先生の記述を再度、示します。
だから「きめごと」には良識が必要なのである。良識のない「きめごと」は社会的罪悪である。
今回の問題は、「きめごと」に良識がなかったことが最大の要因と思います。
「環境整備」が悪いことに扱われ、非常に悲しく思っています。